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大阪高等裁判所 昭和28年(ネ)551号 判決 1965年11月15日

第一審原告(第五〇九号事件被控訴人) 坂本荻次

(第五〇九号事件被控訴人・第五五一号事件控訴人) 坂本きみ

第一審被告(第五〇九号事件控訴人・第五五一号事件被控訴人) 榎本俊雄

主文

原判決を次のとおり変更する。

(1)  第一審被告は第一審原告坂本きみに対し金六一万九七一〇円、同坂本荻次に対し金一〇万円並びに各これらに対する昭和二六年九月一五日から右支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払うべきことを命ずる。

(2)  第一審原告らのその余の請求を棄却する。

(3)  訴訟費用は第一・二審とも第一審被告の負担とする。

(4)  この判決中第一審原告坂本きみ勝訴の部分については金二〇万円、同坂本荻次勝訴の部分については金三万円の各担保を供するときはそれぞれ仮に執行することができる。

事実

第一審原告坂本きみは、昭和二八年(ネ)第五五一号事件につき、「原判決中同原告敗訴の部分を取消す。第一審被告は同原告に対し金四五万八八二八円五〇銭とこれに対する昭和二六年九月一五日から右支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一・二審とも第一審被告の負担とする。」との判決を、第一審原告らは、同年(ネ)第五〇九号事件につき、控訴棄却の判決を求め、

第一審被告は、昭和二八年(ネ)第五〇九号事件につき、「原判決中同被告敗訴の部分を取消す。第一審原告らの請求を棄却する。訴訟費用は第一・二審とも第一審原告らの負担とする。」との判決を、同年(ネ)第五五一号事件につき、控訴棄却の判決を求めた。当事者双方の主張並びに証拠の提出、援用、認否は、次に付加訂正するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、ここに右事実摘示を引用する。(ただし原判決二枚目表末行から裏一行目の「榎本秀次医師」を「榎本秀治医師」と、六枚目裏一行目の「甲第一〇号証から三一号証」を「甲第一〇号証、第一二号から二一号証」と、同二行目の「的場ヤス」を「的場マス」とそれぞれ訂正する。

第一審原告坂本荻次は、

一、本訴請求は第一審被告の不法行為を原因とする損害賠償の請求であつて原判決中の第一審原告らの請求原因事実中の「昭和一七年一一月八日当事者間に全治までの費用一切は第一審被告で負担するという契約が成立した」とある点は事柄の経過における事情として陳述されたものに過ぎない。

二、本件慰藉料金五〇万円の請求は第一審原告両名が各自金二五万円宛の請求をするものである。

三、第一審原告きみは第一審被告の第二回手術後において緒方病院、玉置病院、田辺病院等で数回手術をしてもヘルニヤや腸癒着が続発して(現在なお第六回目同部位手術の必要必至の状態にある)当分は全治不能の状態にある。右は第一審被告の第一回手術における鉗子の取忘れ、その発見が遅れたこと、その取出手術が粗暴でありその後の手当が不当に怠慢であつたという連続的不法行為によつて第一審原告きみにヘルニヤ腸癒着を発生するに至らしめ、食餌を摂取しても腸の活動の機能的障害により著しく衰弱し体質的に変化を来し腹筋力が弱体化して変質されたことによるものである。

第一審原告ら本訴において主張している損害は鉗子遺忘時の障害とは全く別個の本質的にも全然異なるヘルニヤ及び腸癒着の傷害に対する請求であり、その傷害は如何なる原因によつて生じたか将又加害者は何人であるかは医学的に無智な第一審原告らには全然判らず、原審証人緒方祐将同榎本秀次同金沢稔等の証言によつて加害者が第一審被告であることを昭和二七年四月知つたものである。したがつて第一審被告の時効の抗弁は理由がない。

と述べ、

第一審被告は、

一、第一審被告が第一回子宮外姙娠の手術に際しコツフエルの取出しを遺忘したことの過失は認めるが、当時合意によつてその点の治療は完了した。その後の数度のヘルニヤ症状はいずれもその直前の手術の結果又はその他の原因によるものでコツフエルの遺忘とは全く関係がない。子宮外姙娠に限らずおよそ腹部手術の結果は容易にヘルニヤ腹部臓器の癒着を伴い易いものでこれは手術の巧拙というより自然病理的現象である。大家の手術に係るとも、コツフエルの遺忘とは関係なく屡々これら症状を発起せしめるものである。更に本人の体質(本件においては坂本きみは結核を患つている)又医師の注意に拘わらず患者自体が腹圧を加えること(これは一般に無意識になされる)等によつても重大な影響がある。したがつて単純に医師に過失の責を負わすことは余程の積極的明瞭な事由がなければ不可能である。もし医師に責任ありとしても医師の交替により前医師の責任が遮断されるであろうことはヘルニヤなる病理現象自体から当然であり况して数人の医師による数回の手術を経たものが、なお最初の一医師の全面的責任である等とは到底云い得ない。原判決は子宮外姙娠の手術、コツフエルの遺留、ヘルニヤの続発という一連の事実につきコツフエルの遺留とヘルニヤの続発につき自然的因果関係ありとして右因果関係をそのまま法律的責任の基礎としているが、分折すれば決して自然的因果関係も成立していない。又法律的責任は自然的因果関係の範囲内において法律上の具体的因果関係を勘案してその範囲を画すべきであり、一の原因(第一審被告の過失)が支配的で他の原因と考えられるものは法律上は原因と考えるべきではないとの積極的明瞭な証拠がなければならない。コツフエルの遺忘なる過失を主たる原因としてその後における権利侵害の事実を認め第一審被告に賠償義務を認定した原判決には到底服することができない。

二、第一審原告らは昭和一八年七月弁護士を通じ第一審被告に対し損害賠償の請求をなし結局同被告はこれに対し金四三〇〇円を支払い過失並びに将来の責任に関する免責を得た(乙第一号証)。しかるに原判決は文言に見舞金とあるの故をもつて見舞金に過ぎず或いは弁護士に代理権なしとしたが、これは右金額が現在の貨幣価値にして一〇〇万円以上の価値があること並びに事件の処理に弁護士が介入したことの社会常識上の意味を全く無視したものである。

三、不法行為による損害賠償請求権は被害者が損害及び加害者を知つた時から三年の短期消滅時効にかかる。本件において加害者の点は問題なく、損害を知つた時は遅くとも昭和一八年七月である。損害を知るとは損害を伴うことを常とする違法行為がなされたことを知る意味で損害の程度又は数額を知るを要しない。原判決が時効の抗弁を排斥する理由となすところは法律上全く意味をなさないばかりでなく、右時効制度の立法趣旨を根本から否定するものである。常識上実際上からしても医師が一つの過失のために二〇年の時効期間内はその後発生することあるべき症状に対し全て責を負うべき恐れがあるとせば極めて不都合な結果となるであろう。

と述べた。

証拠<省略>

理由

一、第一審原告きみが子宮外姙娠のため昭和一七年九月一三日第一審被告の経営する病院に入院し第一審被告によつて手術を受け同年一〇月上旬退院したこと、第一審被告は右手術に際し第一審原告きみの腹中にコツフエル一個を残したままであつたので同原告は同年一一月八日再度第一審被告の手によつて手術を受け右コツフエルを取出して貰つたこと、右第一審被告がコツフエルを残したことは同被告の過失によるものであること、その後第一審原告きみがヘルニヤを続発していることは当事者間に争いない。

右事実と成立に争いない甲第一号証、第二号証、第五号証、原審証人玉置弁吉の証言によつて成立が認められる甲第六ないし第九号証、原審証人諸方祐将の証言によつて成立が推認される甲第一〇号証の一・二並びに原審証人森国次同榎本秀次同射場マス同榎本六三郎同小幡狷同玉井寿同玉置弁吉同鈴木慶次郎同金沢稔当審証人小幡狷同榎本六三郎(第一回)同福田常七の各証言、原審・当審における第一審原告ら並びに第一審被告各本人尋問の結果(ただし第一審原告荻次の原審第二回供述を除く)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

「第一審原告きみは第一審原告荻次と夫婦となりその間に二男二女を儲け昭和一七年九月当時は満三〇才で家業たる箒、たわしの製造並びに青果物商に励んでいたが、子宮外姙娠のため喇叭管が破裂し内出血したので急拠同月一九日第一審被告の経営する病院に入院し、第一審被告養父医師榎本六三郎立会の下に第一審被告によつて開腹手術を受け、意識不明の状態が二・三日続いた後同年一〇月一〇日退院した。

退院当時もなお痛みが続いていたが、日時が経過すれば癒るとの第一審被告の言を信じていたところ、退院後暫くして異常な高熱を発したことがあり又当時手術個所が少し化膿し腫れて熱があり、その後も依然として腹痛が続き、第一審被告の診断を受けていたが、その都度日時が経過すれば癒るとの言のみであつた。そこで第一審原告きみは訴外中村医師の診断を求めたところ、腹の中がおかしい、しかしもう一度第一審被告に診て貰うようにとのことであつたので、右事実を秘し第一審被告に腹の中の固いのは何故かと尋ねると同被告は腸の淋巴線が腫れているとのみ答えた。そこで更に訴外榎本秀次医師に診断を求めたところ、その翌日レントゲン写真を撮るように云われ、これを撮つてみると腹中に第一審被告が手術の際使用した長さ約五寸の止血鉗子(コツフエル)が置き忘れたままになつていることが判明した。右事実を第一審被告に話すと同被告は自己の過失であるから自分が取出す手術をする、その費用は自分が持つというので、再度同年一一月八日第一審被告経営の病院に入院し開腹手術を受けた。右止血鉗子には肉が巻きつき塊となつていたので、第一審被告は数十分間手で揉んで鉗子から肉を外し腹中に収めたが、右鉗子には青く錆びている個所もあり、立会つた第一審原告荻次には消毒が完全でなく又その扱いが粗暴に思われた。第一審原告きみは右手術後注射を受け翌日の夕方頃まで失神状態にあつたが二〇日間程入院した後退院した。

第二回手術後第一審原告きみはヘルニヤ症状を感ずるようになり退院後も食事をすると腹が痛み下痢をし出血も止らない状態であつたが、第一審被告は充分な手当をしないので転々と医者を変え診察を受けた。そして昭和一八年三、四月頃更に第一審被告に治療のことにつき尋ねたところ同被告は京大か阪大の大学病院で診察を受け若し手術しなければならないなら、費用を出そうとのことであつたので、阪大付属病院の診察を受け更に同年六月中京大付属病院で診察を受けたところ、瘢痕ヘルニヤで一ケ月入院の上根治手術を要するとの診断があつた。そこで右治療費を得るため後記二認定のように訴外榎本安盛弁護士を介して第一審被告と交渉して貰い金三〇〇〇円を入手した。その後第一審原告荻次が応召出征した後も依然としてヘルニヤの症状が香しくないので昭和一九年四月二八日大阪市内の緒方病院で診察を受けたところ、開腹手術をした皮膚の部分はくつつき恢復しているが白腺の部分は離れ巨大腹壁ヘルニヤとなり腹膜が腸に癒着していたので同年五月一〇日開腹手術を受け約二ケ月間入院した後退院した。しかし腹壁ヘルニヤは治癒せず退院後も暫く同病院へ治療を受けに行つていたが、経済上体力上から自然と続けることができなかつた。

その後も依然として腹痛は続いたまま家で寝ながら養生し、時々通院していた。勿論第一回目の開腹手術後は家事をすることもできず長女が主としてこれを行つた。第一審原告きみには軽い胸部疾患があつたが、さしたるものではなく健康を損うに至る程度のものではなかつた。その後昭和二六年四月二八日、田辺市内の玉置弁吉医師の病院でヘルニヤのため第四回目の開腹手術を行い、更に同年八月一日国立田辺病院に慢性腟炎、神経衰弱症、ヘルニヤ等で入院し同年一一月頃第五回目の開腹をして瘢痕ヘルニヤの手術を受けた後昭和二七年七月一三日退院した。右退院後は右両手術前に八貫七百匁位に減少(第一回開腹手術前は約一一貫)していた体重も昭和二八年一月頃は一〇貫弱と回復し、気分の良い時は店の留守番位できるようになつた。しかしその後損ねた健康から余病を発し昭和三〇年五月三〇日の当審口頭弁論期日以後は口頭弁論期日に出頭できなくなつた。」

前掲証拠中右認定に反する部分は措信せず、その他右認定を左右するに足る証拠はない。

以上認定事実によると、第一審原告きみが第三ないし第五回の開腹して手術を行つたヘルニヤはいずれも第一審被告がなした第二回目の開腹手術により起つたヘルニヤを原因とするものであり、第三、第四の開腹手術が不完全になされたものであるとの証明がない以上、第二回目の開腹手術と相当因果関係があり、しかも右第二回目の開腹手術は第一審被告の第一回目の開腹手術の際止血鉗子を遺忘した重大な過失に基くものであるから、右過失行為とその後の第五回目の開腹手術までのヘルニヤ腸癒着とはその間に相当因果関係を有するものといわねばならない。(前認定事実によると第一審被告が止血鉗子を遺忘したことに気付くことが遅かつたことにつき同被告に過失が認められるが右過失行為がへルニヤの発生に因果関係があつたかは明らかでない。)第一審被告は第三回目の開腹手術以後のヘルニヤは他の医師の行為が介在して因果関係が中断する旨主張するが、前記のように右第三回目の開腹手術以後のヘルニヤ腸癒着は第二回目の開腹手術を原因とするものであり、因果関係を辿ることができる以上、第一審被告の右主張は採用できない。

そうすると第一審被告は右不法行為による損害を賠償すべき義務がある。

二、第一審被告の和解契約による損害賠償債権削滅の抗弁について判断する。

第一審原告らが本件につき昭和一八年七月弁護士榎本安盛から第一審被告よりの少くとも金三〇〇〇円を受領したことは当事者間に争いなく、右事実と原審並びに当審証人小幡狷の証言によつて成立が認められる乙第一号証、原審証人鈴村慶次郎(一部)当審証人徳田作太郎原審並びに当審証人小幡狷の各証言、原審における第一審原告坂本荻次(第一回)、当審における第一審原告ら各本人尋問の結果(いずれも各一部)によると、前示のように第一審原告きみは昭和一七年一一月の第二回目の手術後もはかばかしくなく更に手術を要するような状態でその費用が必要だつたので、第一審原告荻次は同きみから弁護士に相談するよう依頼もあり昭和一八年六月頃亡訴外榎本安盛弁護士や訴外徳田作太郎弁護士に第一審被告に対する賠償請求について相談をしたが、榎本弁護士はその妻と第一審被告と親族関係になると述べており、又徳田弁護士は賠償金として二〇〇〇円か三〇〇〇円は取れるであろうと述べたこと、その後同年七月に入つて第一審原告荻次に対し召集令状が来たので更に榎本弁護士に第一審被告に対する交渉方を依頼し、榎本弁護士は第一審原告らの代理人となつて第一審被告やその依頼を受けた訴外医師小幡狷と折衝の結果今後なんらの請求をしないとの条件の下に損害賠償金として金四三〇〇〇円を受領し、第一審原告らは内金三〇〇〇円を受取つたこと、そして第一審原告荻次は右折衝につき尽力した訴外小幡狷宅へ謝礼に行つたこと、榎本弁護士の訴外小幡狷に交付した領収書(乙第一号証)には見舞として贈与されたとの記載があるが右は損害賠償金として記載すると所謂角が立ち第一審被告にとつて好ましくないと考えられたからに過ぎず実質上は前示のように損害賠償金であつたこと、又右領収書にも記載してある今後なんらの請求をしないとの請求権放棄の条項は各代理人榎本弁護士と小幡医師との間で発案されたもので、第一審原告らにおいて再手術の必要や第一審原告荻次の召集等緊急の間に深く意を止めなかつたように見受けられるが、榎本弁護士が右条項を含む和解を締結することは代理権の範囲内であつたことを認定することができる。原審証人鈴村慶次郎の証言並びに原審における第一審原告坂本荻次(第一回)、当審における第一審原告ら各本人尋問の結果中右認定に反する部分は前示各証拠に照らしたやすく信用することはできず、その他右認定を左右するに足る証拠はない。

そうすると第一審原告らは第一審被告より前記のごとく金員を受領し以後なんらの請求をしない旨約したのであるから、これにより同原告らの同被告に対する損害賠償債権はすべて消滅し本訴請求は理由がないものとすべきもののように見える。しかしこの種の和解契約において被害者が「今後なんらの請求をしない」旨約した一事をもつて、将来いかように異常な事態が生じようとも被害者は右文言に拘束せられ以後なんらの請求をもなしえないと解することは信義則並びに衡平の原則に照らして相当でなく、たとえかかる取り決めがなされたとしてもその後信義則上看過しえない程度に異常な損害が生じた場合は、このような事態は、特段の事情がない限り、契約当時当事者のむしろ予想外としたところであり結局において契約の対象事項中に包含せられず、したがつて右損害と当初の加害行為との間に因果関係の認められるかぎり被害者は以後の損害についても加害者に対しその賠償を請求しうるものと解するのが相当である。そして本件において前示一、二の認定事実に徴すると第一審原告ら及びその代理人は当時第三回目の手術をなせば足るものと考え本件のように第三回目の手術後も健康を回復しないまま永らく苦しんだ後更に開腹手術を受けなければならないような異常な事態に立到ることは考慮の外において和解契約を締結したものであり又第一審被告側も右契約に際し同様第一審原告きみが、本件のように第三回目の手術後も永らく苦しみ更に開腹手術を受けるような事態に立到ることを前提としていなかつたものと解すべきであるから、緒方病院における第三回目の開腹手術後相当期間の後に発生した損害に関する第一審原告らの賠償請求権は右和解契約により消滅していないというべきである。

三、次に第一審被告の時効による損害賠償請求権消滅の抗弁について判断する。

不法行為による損害賠償請求権は、民法第七二四条により被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知つた時から三年の時効により消滅する旨定められ、時効期間については一般債権より短期とされる一方右期間の起算点については、一般債権と異なり、被害者が損害及び加害者を知つた時から開始するものとして権利者の主観的な認識を要件としている。これは一般債権のように権利を行使しうるときから時効期間が開始するとするのは被害者にとりて酷であるので、特に主観的な認識があつて始めて期間が開始すると被害者のため要件を緩和したものですなわち、不法行為による損害賠償請求権については被害者が同請求権を行使できるという客観的事実状態と被害者の主観的認識とが兼ね具わつた時から時効期間が開始するのである。したがつて被害者が不法行為に基づく損害の発生を認識した以上その損害と牽連一体をなした損害で当時その発生並びにその程度額を予知しえたものについては、その時から右予知しえた損害に対する賠償請求権の時効期間が開始するが、未だその発生又はその程度額が予知しえなかつた損害については予知しうるに至つた時をもつて時効期間の起算点とすべきである。本件において前記第三回目の開腹手術後相当期間後に生じた損害については、前示のように第一審原告らが止血鉗子の遺忘を認識した時ないしはこれを摘出した第二回目の開腹手術時においてこれを予知し得なかつたものであるから、その時から時効期間が開始することなく、又右損害についてこれを予知し得た日時についての明確な証拠がないから、右損害が具体的に現実化した時から時効期間が開始するものと認むべきである。

ところで、本訴は昭和二六年九月二八日提起されたことが記録上明らかであり、成立に争いない甲第三号証によると、第一審原告らは第一審被告に対し本訴請求の金員を支払うべき旨の催告書を昭和二六年九月五日午後田辺郵便局から発信していることが認められ、右催告書は翌六日には到達していると推認されるので、右昭和二六年九月六日から三年以前の昭和二三年九月五日までに発生した損害賠償請求権については、第一審原告らは右発生時に損害及び加害者が第一審被告であることを知つていたものと前示認定事実によつて認められるから、他に時効中断の主張立証がない本件においては、すでに時効により消滅しているが、前記昭和二三年九月六日以降に発生した損害については時効消滅せず、第一審被告において賠償義務がある。

四、よつて右賠償すべき損害額について判断する。

弁論の全趣旨によつて成立が認められる甲第三一、第三二号証と原審における第一審原告荻次尋問の結果(第一・二回)によると、第一審原告きみは昭和二四年一月から同年五月までの和歌山市の南条病院での治療費金三二〇〇円、同年三月中の和歌山医大でのレントゲン写真のための費用金二四〇〇円、右和歌山市までの汽車賃食費代宿泊料等金一万五五〇〇円、同年三月中の白浜療養所での受診料金二五〇円、昭和二六年二月から同年九月までの玉置医師国立田辺病院に対し自ら又は他人によつて立替えられた医療費金一一万五二五五円、玉置医師方入院中の付添婦代金五九八〇円、氷代金六三〇五円、昭和二六年五月から同年七月までの栄養費金五八二〇円、合計金一五万四七一〇円を支出又は支出すべき要があることが認められる。右第一審原告荻次本人尋問の結果中の、昭和一八年七月二一日から昭和二四年六月二日までの医療費金一万五一〇一円は前示時効消滅していない部分が明らかでないと共に個別的具体的でなく、昭和二四年六月三日から昭和二六年四月二六日までの木炭費、氷代、栄養費金四万八五八〇円、昭和二四年一〇月三日から昭和二六年四月二六日までの玉置医師の接待賄費金一万二二五〇円は具体的でなく明確さを欠き、玉置医師入院中の付添婦の食費賃金八五八〇円、昭和二六年五月より同年七月までの付添婦食費金七七六〇円は甲第三二号証によつて認められる金五九八〇円と対比するときは直ちに信用することができず、いずれも採用しがたい。

次に第一審原告きみは前示のとおり家業に従事していたものであり第一審被告の不法行為なかりせば前示昭和二三年九月六日以降も家業に従事することができたわけである。そして弁論の全趣旨によつて成立が認められる甲第三三号の一・二、当審証人福田常七の証言、原審並びに当審における第一審原告荻次各本人尋問の結果(原審は第一・二回)によると、第一審原告荻次は昭和二一年に復員後、応召前人をも傭い盛大に営んでいた箒、たわしの製造業を機械も残つているので再開しようと思つたが、協力者であつた第一審原告きみが病のため仆れているため青果商のみを再び営んでいたことが認められるので、第一審原告きみの労働力を右箒たわしの製造業並びに青果物商に従事したものとして、昭和二三年九月六日から昭和二六年八月末日までの全期間を通じて一日金二四〇円(昭和二四年五月二〇日施行の緊急失業対策法第一〇条第二項による失業対策事業に使用される失業者に支払われる賃金の額が施行当初通常金二四〇円であつたことを参酌する。)とし、第一審原告ら主張のように一ケ月二五日稼働するものとして、計算した金二一万五〇〇〇円を第一審原告きみの喪失した得べかりし利益と認める。

又第一審原告きみは前示のように予期しないヘルニヤに永らく苦しみ開腹手術も受け仕事もできず多大の精神的苦痛を蒙つたことは明らかであるから、前示認定事実等諸般の事情を考慮しその苦痛を慰藉すべき金額は昭和二三年九月六日以降においてもその主張する金二五万円をもつて相当と認める。

したがつて第一審被告は第一審原告きみに対し右合計金六一万三八九〇円とこれに対する右損害の発生後である昭和二六年九月一五日から右支払済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

次に第一審原告荻次も配偶者たる第一審原告きみの前示予期しない異常な事態により同原告が死亡したにも劣らないような多大の精神的苦痛を蒙つたことが明らかであるところ、その苦痛を慰藉すべき金額(前同様昭和二三年九月六日以降)は前示認定事実等諸般の事情を考慮し金一〇万円をもつて相当と認める。したがつて第一審被告は第一審原告荻次に対し右金一〇万円とこれに対する右損害発生後である昭和二六年九月一五日から右支払済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

五、よつて第一審原告らの請求を右の範囲内で正当として認容し、その余は失当として棄却し、民事訴訟法第九二条第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 加納実 加藤孝之 村瀬泰三)

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